具体化の賜物

抽象的思考ばかり。

自己紹介

2026/03/21更新

 

 どうも。今回は自己紹介をしたいと思います。あまりにも情報がanonymousすぎたので、不審がられないためにも掲載できる情報は掲載したいです。

属性

・名前

→ま

 

・Twitter / X

→@Arulive_765

 

・職業

→SE(システムエンジニア)

 

・年齢

→非公開

 

・やっていること、趣味

→数学科卒の数学オタク、写真やマチアプが趣味です

 

・性格

→テキトー。ENFP。

 

ひとこと

 どうもはじめまして。まと申します。ひらがなの「ま」です。この名前は、同級生がふとつぶやいた平仮名から取ってきました。このブログは、日々思い付いた抽象的な思考を具体的な文章に落としこむことを目的にしています。日々ネガティヴな思考をしているためネガティヴな記事が多いです。詳しくは下記記事を参考にしてください。

meisbakablog.hatenablog.com

 

 私は理性よりも、人間的な本能を大事にしています。頭で考えるよりも気持ちで動く方が自分のためになると思って生きています。詳しくは「ニーチェ 幸福論」などで検索してください。

 ニーチェという単語が出てきたことからわかるように、私は哲学的思考が好きです。そのような記事をかけたら嬉しいなと思って毎回記事を書いています。そのため、私のブログを読むことはとてもハードだと考えておりますが、その分きちんと読み切れば何か得られるものがあるのではないかと考えています。「こういう人間がいるんだ」と思えたら正解です。しかし、楽しみ方は自由です。どうか心行くままに私の記事を楽しんでいただければと思います。

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x.com

 

借金地獄の学生時代、その頃のお話

 

 社会人ってすげえな〜。

 

給料日がきた

 社会人になって30日目。ついにきました。給料日が。その額はなんと、新卒社会人の平均額。平均レベルのお金がいただけるだけでなんと嬉しいことやら、、、。そのおかげで、私のある問題が解決しそうなのです。

 

借金地獄問題

 私は、大学生になってから借金を始めました。言い方は変ですけど、許してください。

 きっかけは生活環境の大変化にあります。恋人と同棲してた家を出ることになり、毒親のいる実家には帰るに帰れず、仕方なく借金をして賃貸を借りることに。(簡単に言うとそういう感じ。)

 恋人と同棲している間は、お金がない時は恋人が金銭面でサポートをしてくれていたのでなんとかなっていました。しかしひとり暮らしとなるとそうはいきません。全て、自腹なんです。そりゃそうなんですけど。でも大学生の身分にはそれが本当に痛かった。

 だから、借金をしました。借金をしないと生活が成り立たなかったんです。でも、学生で収入も少なかったわけです。返せるわけはありません。そのまま数年間ズルズルと引きずり、時には新たに借入を行い、気がつけば30万円くらい借りてるらしいです。なにこれ、、。

 

給料日の感動

 しかし、そんな私も今月頭から社会人です。給料明細を見てびっくりしました。

 

「こんなにもらえるの?」

 

 うっかり声が出てしまいました。

 しかし借金の一部返済をしてみると急に残高は1万円台に。社会人すげーけど、それと同じくらい借金の負のパワーってすごいんだなと。

 本当ならば初任給でパー!っと遊びたかったよ、、。けれどまだまだ油断は禁物です。あと3ヶ月くらい我慢すれば、すれば、完済の見込みがある🥹

 

 そんなことをのたまう、激ヤバ日記でした。

 

おわり

仕事が楽しくない、原因

 

 適応感なのかなと。

 

うつ病がガチ治りしました

 みなさま、お久しぶりです。マジで久しぶりのブログ更新。前回の更新から約3ヶ月、いろいろなことがありました。そのうちの1つがうつ病寛解です。Twitterをご覧いただいている方々はご存知の通り、うつ病がガチ治りしました。とはいっても、本当は治る病気じゃありません。あくまでも寛解です。安定期に入ったよねってだけで、まだ落ち込む日はあるってことだけ覚えてもらえたらと思います。

 

卒業とか就職とか、

 変わったことの1つに、大学を卒業したこと、そして、就職したことが挙げられます。私といえば大学留年芸人として名を馳せたように、大学留年してたんですが、何とか半年で卒業できる運びに。そのまま秋卒業式に間に合い、無事大学生編が終了しました。

 ということはですよ。社会人編が始まったということです。社会人になって現在およそ2週間です。現状はというと、全く楽しくないんです。なんたって風邪を引いてしまったんです。全然治らなくて、こんなの初めてです!

 楽しくない根本原因は、なんだかんだ環境にあります。私は新卒入社ではありますが、通常では4月入社のところを10月入社で無理言って入らせてもらいました。

 入ってみて思ったのは、友達が全くできないってことです。4月入社の人たちは皆なんだかんだ馴れ合いができているのですが、途中参加した僕への扱いがよくわからないのか、僕とはあんまり仲良くしてくれません...。みんな固定メンツで仲良くしています。大学まではそれとなーく仲良く友達ができていたはずなんですけど、社会人になると、それも途中参加となると、そうも上手くいきません...。

 上司も優しいんですが、従来から持ち合わせている「歳上が苦手」という私の事情があり、何度話しても慣れません。

 そういった環境を上手く自分に合わせて変えられるのは自分しかいません。ですが、今更4月入社の人たちにすり寄るのもなかなか難しいのです。業務中に話す機会なんてないし、昼休憩の間も固定メンツで固まっちゃうので入る隙が無いのです。

 みんな、中途入社の人ってどうやって生きてるんだろう???疑問が残ります。教えてーーー先人!

 

仕事が楽しく無い

 と、いうことで、全く仕事が楽しく無いという話でした。こういう実りのない話はブログでしかできません。だって、どうしようもないんだもの...。もっと同期に人数がいればとか、そういう理想論語るよりも仕事に邁進して生きていく方が幸せなのかな。どうなんだろう。仕事自体はまだあんまりできてないからわかんない。仕事の前で挫折してるから。まあ、がんばります。今後どうなることやら、、、😭

 

おわり

陽性転移をカウンセラーに打ち明けてみた

 

 カウンセラーのことがもっと好きになっちゃった、、、。

 

陽性転移

 おはようございます。今日は朝からカウンセリングがあり、勇気を出して陽性転移のことをお話してみました。転移についての詳細は前回記事をご覧ください。

meisbakablog.hatenablog.com

 ひとことで言えば、「親子関係の再現」を転移と言います。「過去に親にこう言ってほしかったな」という言葉をカウンセラーにかけてもらえると、カウンセラーを親としてみてしまう現象です。愛着が形成されてカウンセラーのことを好きになってしまいます。この現象が転移です。

 カウンセラーは、私たちクライエントに心を開いてもらうために、自己一致などの技術を用いて愛着を形成しようとします。つまり、カウンセラーは自分自身を好きになってもらうように仕掛けているのです。なので転移が起きてしまうのは当然のことなんですね。下記記事を参考にしていただければ、より詳細な心の動きがわかると思います。

1)人間不信に陥っているあたくしに心を開いてもらうために、先生は「陽性転移」が起きそうなアレコレをしかける(多分) 2)「陽性転移」したあたくしは、先生に理解してもらいたいので普段喋らないことも喋るし、感情もオープンになる ←今、ココ 3)結果、先生はあたくしの抱える問題が分かり、これは解決できそうだなと思った時点で、ゆっくりと「陽性転移」を解く 4)あたくし、正気に戻る

「陽性転移」の気持はまず人に伝わらない。 - 心の旅のお作法

 

打ち明けてみた

 カウンセラーに転移のことを話すのは気が引けます。誰だって、人に「好きです」と言うのは勇気がいりますよね?そういうことです。カウンセラーに言ってしまって関係性が破綻したらどうしようと思いますよね。

 でもカウンセラーを信頼することが一番大事だと思い、打ち明けてみました。結果としては大成功でした。

 自分の気持ちを素直に話した結果、カウンセラーに受け止めてもらえたという経験は私の人生にとって重要なものとなるはずです。相手はプロなのです。当然受け止めてくれるはずです。また、「陽性転移をカウンセラーに秘匿にすること」すなわち「カウンセラーにうそをつく」ということなんです。もちろん気持ちの整理がつくまで話さないといったことは大事ですが、話すことによって「正直な対話」を実現することができるという視点もまた忘れてはなりません。その正直になれた経験が己を救うのです。

 

転移に悩んでいる人びとへ

 陽性転移に陥ってしまい、相談するか悩んでいるといった人は多いと思います。実は陽性転移はカウンセラーとの間だけではなくて、病院の先生であったり、学校の先生であったり、そういった間柄でも起こりえます。学校の先生が優しすぎてときめいた経験がある人は多いと思います。その中でも特に、カウンセラーは陽性転移に慣れています。なぜならカウンセラー自身が陽性転移を起こすように仕向けているから、自分の抱える患者の数だけ陽性転移に向き合ってきているのです。

 そういう意味で言えば、カウンセラーに陽性転移を打ち明けるのはオススメできる行為です。相手は百戦錬磨のプロです。陽性転移のプロです。当然、関係性が壊れないようなアプローチを取ってくれます。

 しかし、病院の先生や学校の先生など、心理のプロでない方々に陽性転移を打ち明けることはオススメできないかもしれないです。それはプロでないゆえのことです。もちろん、学校の先生も病院の先生も、職業倫理として「恋に陥ってはならない」という勉強をしてきているはずです。しかし実際にそういった場面に向き合う機会がカウンセラーと比べて相当少ないのです。つまり、うまく対処してくれずに、関係性が壊れてしまう危険性があります。

 ではそういった場合どうすればいいか?ということですが、大事なのは自分で線引きを決めることです。カウンセラーの場合はカウンセラーがきちんと線を引いてくれます。しかし学校や病院の先生の場合、線を引いてくれない可能性があるのです。つまり自分で線を引かないと沼にハマってしまい、関係性が壊れてしまう可能性があります。伝えるよりもまず、叶わない恋だと自覚して、というか「ただの愛着の再形成である」と自覚していただいて、ぜひ冷静に判断していただければと思います。

 おわり

人をすぐ好きになってしまう現象について

 

 それは転移では??

 

カウンセリングで得た気づき

 みなさまこんばんは。まです。最近は減薬に減薬を重ね、ようやく睡眠薬以外を手放すことに成功しました。飲んでいた錠数で言うと、10錠ほど。それがいまや1錠まで減少しました。とは言っても、これはセルフ減薬です。お医者さんからもらった4週間分のお薬を段々と勝手に減らして飲んでいました。なのでオススメはしません。実際にひどい離脱症状に悩まされました。(吐き気や熱っぽい感覚など...。マジで苦しかった。)今度お医者さんに会ったときなんて言おうかな????ごめんね先生。

 

 今回は、家庭環境が優れなかった人間に生じやすい転移についてお話します。なお、私は専門家ではないのでその点についてはご容赦ください。

 

 先日、カウンセリングを受けました。カウンセラーといつも通り話をして、そこで「自分軸による行動の大切さ」を痛感しました。というのも、私は他人のことばかり気にしていて、他人がどうすれば喜ぶのか、どうすれば不快じゃないのかを常に意識しながら行動していました。しかし、そうすると自分の気持ちがわからなくなってくるのです。そりゃ、人の気持ちばっかり優先してたら自分を封じ込めることになってしまいますよね!そこで次から意識してみようということで、自分軸の行動を提案されました。実際に、もう話したくないなと思った友達と距離を取ってみたり、Twitterで我慢してたことを発信してみたりと、いろいろアクティブに行動してみました。

 

 カウンセラーとの会話の中で「今日のご飯は食べたいものを食べてみましょう。ハンバーグとかなんでもいいんです。」という提案をされました。これも立派な自分軸による行動です。そこで僕は「じゃあハンバーグを食べたいです」と言いました。カウンセラーの先生からは「私が言ったから食べたくなっちゃいました?笑」と笑顔で返事がきました。

 

 、、、なぜかその言葉が心の奥底に響いてしまいました。何ともいえない、先生の家庭的?な発言なのか、母性を感じたんですかね、、、。それからというもの先生のことばかり考えるようになってしまいました。沼です。カウンセラーに対して母性、父性を感じてしまうことを転移といいます。

 

 この現象を経て、僕は自分の「人をすぐ好きになってしまう」という性質の原因を理解することに成功してしまいました。人は自分の話を親身に聞いてもらえると相手に母性を感じることがあります。つまり転移です。僕はあまりにも家庭に恵まれなかったため、簡単なことでも母性を感じてしまうのです。転移のハードルがくそ低いのです。少しでも優しい言葉をかけられただけで母性を感じて、「好きだ」となってしまう。そんな自分がずっと嫌だったのですが、原因がわかって少し安心しました。なぜなら、「これは恋心ではなく母性を感じているだけだ」と、それはまやかしだと理解している分、次からは安易に「好きだ」とならないからです。

 

 人をすぐ好きになってしまう方って多いと思います。しかしその原因が転移であるならば、理解することで対策することができます。「これはあくまで母性を投影しているだけだ」と自己を制御することができるようになります。ぜひこれまでの話を参考にして、他者との交流に努めてください。

 

 おわり

知性を突き詰めた先

三島由紀夫がそこにいました、、、。

 

反知性主義

反知性主義」という言葉には、どうしてもネガティブな響きがある。たとえば、専門家の意見を無視し、直感や感情ばかりを優先する態度。あるいは、知的なものや複雑な話に「めんどくさい」と反発する姿勢。そうした意味合いで語られる反知性主義は、たしかに社会にとって問題となることが多い。

 


けれど私自身は、「反知性主義」という言葉に、少し違った感情を抱いてきた。というのも、私はもともと知性を信じていた人間だった。理屈で世界を理解しようとし、言語化し、理論化し、体系化することが「正しい」生き方だと思っていた。勉強も必死にやったし、議論も好きだったし、そうすることで自分を少しだけマシな存在に近づけている気がしていた。

 


けれど、あるときからふと、理屈の「空虚さ」に気づきはじめた。正しいことを言っているはずなのに、人に伝わらない。議論に勝っても、心が満たされない。論理的な文章を書いても、誰の感情も動かせない。そんな瞬間が重なるうちに、私は少しずつ、自分の知性が「何か大切なもの」を置き去りにしているような気がしてきた。

 


そんなときに出会ったのが、三島由紀夫だった。

 

三島由紀夫との出会い

正直に言えば、最初は抵抗があった。あまりにも劇的で、極端で、死を美化しているようにも見える彼の思想には、「危ない人」という印象すら持っていた。しかし、著作や討論を読み込んでいくうちに、彼の言葉がどこか自分の奥深くと共鳴することに気づいた。

 


たとえば、三島はある討論でこう語っている。「知識人が思想だけで人間の上に君臨している姿が嫌いだった」と。つまり、知性を唯一の真理の座に置くことへの違和感。それはまさに、私が感じていたモヤモヤと重なるものだった。

 


三島は決して知性を否定したわけではない。むしろ彼は東大法学部を出たエリートであり、圧倒的な言語能力と知識量を持っていた。ただ、それだけでは「本当のもの」には辿り着けないという限界を、誰よりも痛感していたのだと思う。

 


彼が選んだ道は、「身体性」だった。剣道やボディビルを通じて、自らの肉体に思想を刻み込もうとした。そして最終的には「割腹自決」という、命を懸けた行動によって、自分の思想を貫こうとした。これは理屈では説明しきれない、「生き方」そのものの問題だった。

 


私自身はもちろん、命を懸けるような覚悟はないし、三島のような美学には到底及ばない。けれど、「知性を突き詰めた先に、言葉にならない何かがある」と信じる感覚には、深く共感している。

 


私が思う「反知性主義」とは、知性を放棄することではない。むしろ、知性を突き詰めた末に、その限界を認め、「情緒」や「感覚」や「沈黙」といった、言葉にならないものの価値を再認識することだ。それはある意味、知性の“次のステージ”とも言える。

 


三島は、おそらくそこまで知っていた人だった。ただ彼は、穏やかに折り合いをつけるのではなく、極限まで突き詰めて、死に身でその思想を体現しようとした。そこに私との違いがある。私は、そこまで過激にはなれないし、なるつもりもない。むしろ、日常の中でゆっくりと、静かにバランスを取りながら、自分の知性と情緒を調和させていきたいと思っている。

 


それでも、私が彼の言葉に惹かれるのは、たぶん、彼が「言葉を超えた何か」に本気で触れようとしていたからだ。それは、どこか私の願いとも重なっている。

 


「知性だけでは、人間は救われない」

この言葉が、知性を捨てた人ではなく、知性を愛し、信じ、限界まで使い切った人から語られたとき、それは単なる反抗や諦めではなく、ひとつの「祈り」に近いものになる。

 


私もまた、そうした祈りを持った人間でありたい。

知性を信じ、それでもなお、そこに収まりきらないものを感じられる人間でありたい。

だからこそ、私は三島由紀夫の思想に、今もどこかで惹かれ続けているのだと思う。

多分世界一孤独について詳しい記事

 

「もう治らないのかな」

 

 

泣き止まない

 すみません、泣き止みません。涙が止まりません。というのも、とうとう限界の限界を迎えてしまったからです。

 

現状整理

 現状を整理しましょう。

 私には家族がいません。いや、本当にいないわけではありません。本当はいます。でも、父が余命でそろそろ亡くなりそうだったり、親との信頼関係を幼少期に上手く築けなかったりと、信頼できる人間がいない状態なのです。精神的な逃げ場がないと言ってもいいでしょう。

 精神的な逃げ場がないとどうなるか。己から生じる全ての感情を己で抱え込むしかない状態に陥ります。これが孤独です。

 例えば、友達に悪口を言われたとしましょう。精神的な逃げ場があれば「悪口言われたんだよね」と逃げ場に逃げ込むことができます。痛みを分かち合うことで苦しみから逃れることができます。一方で、精神的な逃げ場がないとしましょう。逃げ場がないので悪口を言われたダメージを消すことができません。悪口を言われた苦しみを誰にも癒してもらえないなんて、苦しいですよね。これが孤独であり、その苦しさの本質なのです。

 つまり私は孤独なのです。友達がいるいないなんて関係ありません。友達は精神的な逃げ場にはなり得ないのですから。例えば友達に相談すればよくね?なんてのは妄言にすぎないのです。孤独エアプにすぎません。私の周りの友達はみんな逃げ場になってくれませんでした。これが事実なんです。つまり友達は精神的な逃げ場にはなり得ないのです。これは友達が悪いというよりも、友達という関係性の性質上仕方のないことだとは思います。

 

孤独を解決するには

 以上のことから、孤独を解決するためには精神的な逃げ場を作らなければなりません。精神的な逃げ場になりうるのは家族レベルの関係性に限ります。友達だと逃げ場になり得ないのは、友達は家族にはなり得ないからです。

 では、家族レベルの関係性とは何なのでしょうか?それは恋人や親友、カウンセラーなどの無条件同意存在です。

 ただカウンセラーに関しては注意が必要で、彼らは仕事でやっているという点を忘れてはいけません。本質的な家族レベルの関係性にはなり得ないのです。

 ゆえに私には恋人や親友が必要となります。しかし恋人や親友はできませんでした。これが現在の私を悩ます最も根本的な課題です。

 

ゆえに泣いている

 私は自分の抱える負のエネルギーをどこにも発散できず、発散場所を探しても誰も相手をしてくれず人間不信に陥っています。ゆえに私は泣いているのです。今も泣きながら記事を書いています。このままいけば孤独感は治りません。それならいっそのこと死んだ方がマシなんです。自殺するわけじゃないけど、死んだ方がマシと思いながら生きています。よろしくお願いします。

 

おわり

 

 

頑張ることをやめた日

 

 頑張らないのって良くないという記事。

 

頑張りつづけた人生

 僕の人生の半分は、努力でできている。

 凡才レベルにできること。努力しかないんだ。

 そう思って生きてきたんだ。

 

頑張ることをやめた日

 くじけた。くだけた。

 どうにもこうにも馴染めない。

 努力の先にあるもの、それは適応能力の限界。

 己の限界。最大出力。そこまで行った。だいぶ冒険した。

 

不足感

 だからやめたんだ。努力をやめたんだ。

 加減を知らない僕は、やめなければならない。

 でも足りないんだ。なにか足りないんだ。

 加減を知らない僕は、なにかを欲している。

 

努力を欲している

 それは達成感。それには目標だ。

 達成感を忘れてしまった僕は、

 ただ存在する置物。

 人を傷つけることのない、無害な存在。

 傷つけたっていいじゃん、嫌われたっていいじゃん。

 その達成感は、努力でしか味わえない。

 いま、やり直すときがきた。

 

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アフタートーク

 なんだか最近、詩みたいに文章を書きたい気持ちが大きくて、今の気持ちをしたためるためにそれっぽい言葉で書き連ねています。共感性に欠けることしか思いつかないので、大衆性はゼロですね。でも、新たな試みとしてはいいんじゃないでしょうか。

 今回のテーマは努力の必要性です。最近、努力なんて必要ない論が流行っている気がします。かくいう私もその論者でした。精神的に辛いときは無理なんてしなくてもいい。それが拡大解釈されれば、常に無理なんてする必要がないということです。

 しかし無理をしないことにはデメリットがあります。もちろん、無理をしないで他人と必要最低限だけ話すことはメリットの1つですが、それは逆に、置物化を表しています。集団にいてもあんまりおもしろくない人物の完成です。

 もう1つのデメリットは、達成感の欠落です。うつ病を経験してそろそろ2年ですが、達成感の欠如は大きな課題でした。それを解決するには、小さな目標を達成することが求められます。達成した時の感動は大きいです。同時に、達成したときの感動がないと人間生きてて楽しくありません。

 以上のことを表現したのが今回の詩もどきです。ご理解いただけたでしょうか。

 それでは、今日はここまで。ありがとうございました。